2ntブログ
2018.09.2222:59

ラージャダッタ長老: 初期仏教におけるネクロフィリア

こんばんは。nexaです。

かつて、紀元前5世紀にヘロドトスが記した『歴史』に屍姦の話が出てくるという話を書きました。しかしそれは伝聞を記述したものです。ところがそれと近い時代に、死体性愛者自身による告白を収めた書物があるのです。

仏教の聖典の一つに『テーラガーター』(または『仏弟子の告白』『長老偈経』とも)があります。ヘロドトスの『歴史』に近い時代、紀元前五世紀末から紀元前三世紀中葉にかけて男性の出家修行者たちによって詠まれた詩を一冊にまとめたものです(これの姉妹編で女性の出家修行者によって詠まれた詩を集めたものに『テーリーガーター』があります)。この『テーラガーター』の中に、ブッダの弟子の一人であるラージャダッタ長老による次のような詩があります(中村元訳、岩波文庫版。315~319詩)。
修行者であるわたしは、死体の捨て場に行って、婦人〔の死体〕が投げすてられ、放棄され、葬場の中で虫どもにみちみちて食われているのを見た。

実に或る人々は、屍体がおぞましいものであるとみて、嫌悪する。(しかし、わたしの場合には、)情欲が起った。盲人が流れるもの(身体)に対するかのごとくであった。

飯を炊くよりも速かに、わたしはその場所から立ち去った。よく気をつけて、はっきりと自覚して、わたしは一方の隅におもむいて坐した。

そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起った。患(わずら)いであると思う念(おも)いが現れた。世を嫌(いと)う気持が定まった。

次いで、わたしの心が解脱した。見よ、――教えがみごとに真理に即応せることを! 三つの明知をすでに体得した。ブッダの教えはなしとげられた。

死体性愛者であるラージャダッタ長老は虫の湧いた婦人の死体に欲情したものの、その場を離れ、座禅をして性欲を鎮め、悟り(解脱)に至ることに成功したのです。ラージャダッタ長老にとって婦人の死体は魅力的なものでした。しかしその煩悩から逃れるのがブッダの教えだったのです。

ところで、この詩の後半部分はナーガサマーラ長老による詩(267~270詩)の後半部分と一致します。
美しく飾られ、美麗な衣裳をまとい、花輪をかけ、栴檀の香粉で化粧して、舞姫が、大道のさ中で、楽器に合せて踊っている。

わたしは、托鉢のために(町の中に)入って行った。進んで行きながら、わたしは、かの女が、美しく飾られ、美麗な衣裳をまとっているが、しかし死の縄をひろげているかのごとくであるのを見た。

そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起った。患(わずら)いであると思う念(おも)いが現れた。世を嫌(いと)う気持が定まった。

次いで、わたしの心が解脱した。見よ、――教えがみごとに真理に即応せることを! 三つの明知をすでに体得した。ブッダの教えはなしとげられた。

こちらには生きた舞姫が出てきます。ナーガサマーラ長老が美しい舞姫に感じたのと同じ感じをラージャダッタ長老が婦人の死体に抱いたということがわかります。ブッダの前では性欲にノーマルもアブノーマルもありません。LGBTPZNであろうと8番目のアルファベットであろうと、全ての性欲は等しく煩悩なのです。
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