2025.02.1119:06
「六人の女を殺して弄んだ淫楽死姦魔」
こんにちは。nexaです。6人の女の子の死体から体を一部分ずつ切り取ってうまく並べ直すと、7人の女の子の死体とハーレム屍姦をしている気分が味わえてお得ですよ。
今日は前回の補遺のようなお話を2つほど・・・。
「六人の女を殺して弄んだ淫楽死姦魔」
前回、高山哲史の「屍愛録」というルポルタージュ(雑誌『あまとりあ』の1953年12月号)をご紹介しました。
この雑誌には他にもいろいろな記事が載っているのですが、同じ号に、糸尾貴美夫という人の「六人の女を殺して弄んだ淫楽死姦魔」というルポルタージュも載っています。ルポルタージュと言いましたが、前回、「屍愛録」が実話ではないと述べたように、このルポルタージュもおそらく実話ではないようです。というのも、このような事件は聞いたことがないからです。「屍愛録」はよくできたストーリーでしたが、こちらは本当に事実であってもおかしくないような、特に盛り上がりのあるわけでもない、本当に普通のルポルタージュといった趣です。
こんな話です。26歳のKという男は、「昨年」つまり1952年に、盗みに入った先で、24歳の女性と63歳の叔母を殺害した。24歳の女性は気絶させて犯してから殺した。Kはこの罪で死刑を言い渡された。ところが警察の捜査で、Kはそれ以前に25歳の女性を絞殺して屍姦していたことが判明した。そのことが明らかになった以上控訴しても無駄だと悟ったKは、十何人もの女性を殺してきたことを洗いざらい話すのだった。
屍姦の話が出てくるのは嬉しいですが、タイトルの割に、一件しか屍姦をしていないんですね。
しかし何よりも驚くのは、同じ雑誌の同じ号で、屍姦ネタかぶりをやらかしていることです。現代ではあまり考えにくいことで、太平洋戦争終結から10年経っていない当時の世相が屍姦を求めていたのかもしれません。
屍姦は罪か?
さて、前回の記事では、古代の中国では屍姦は死刑にあたる重罪だったという話を紹介しました。また、現代の日本では屍姦は犯罪ではないという判例があるということは、このブログで以前にも紹介したことがあります。歴史上、他の地域ではどうなのでしょうか。
17世紀のシュレジア(現在のポーランド南西部からチェコ北東部あたり)では死刑、それもかなり残酷なやり方での死刑だったようです。『性と暴力の文化史』という本に、次のような記述を見つけました。
強姦や誘惑だけではなく、ほかにも犯人が男根を使って行った、特に〈自然に反する〉性行為も、しばしば去勢によって罰せられた。たとえば一六〇六年にシュレジアのフランケンシュタインで、《死んだ乙女と教会内で淫らな行いをした》ある墓掘り人夫は、同害報復法により《灼熱の火ばさみで男根をつまみ取られ》、しかる後に《薪の山にのせられて、焚刑に処された》。
(ハンス・ペーター・デュル著、藤代幸一・津山拓也訳『性と暴力の文化史』法政大学出版局、1997年、271ページより。「同害報復法」は傍点。)
恐ろしいですね。おちおち屍姦もできません。
それにしても、現代日本のように「屍姦は犯罪ではない」という国や時代もあれば、「屍姦は死刑」という国や時代もあるのは興味深いことですね。そういえば、同性間の性行為も同じです。