2ntブログ
2017.02.0221:27

【創作】ウソコク

小説です。

***

 少し汗ばむような春の陽射しが、放課後の体育館裏に射している。
「好きです!付きあってください!」
 休み時間や放課後にいつも馬鹿みたいに騒いでいるギャルの一団。その一人である雪菜に僕は呼び出された。
 消え残っていた雪が春の陽射しに当てられて、体育館の樋から、木々の陰から、流れている。
 ふと少し離れた校舎を見ると、窓から雪菜といつもつるんでいるギャルの一団が窓からこちらをにやにやとしながら覗いている。罰ゲームとして僕に告白してきたのだ。こういうやつらなんだ。
「いいよ。付きあおう。」
 僕は答えた。
「あ、ありがとう」
 雪菜は笑いを我慢しているのか、少し表情を引きつらせて答えた。
「じゃあそのへん散歩しようか」
「えっ」
「だって恋人なんでしょ?」
「う、うん・・・」
 雪菜は困ったような顔をしながら僕についてきた。

 僕たち二人は人気のない山道に入っていった。
「いやあ、空気がおいしいねえ」
「ねえ、どこに行くの?」
「どこって、ただの散歩だよ。ねえ、雪菜、僕たち恋人なんだし、今からセックスしようよ」
 雪菜はぎょっとして
「そ、それは早いんじゃないかな・・・」
と逃げようとする。
「待ってよ」
 僕は左手で雪菜の手首を掴み、右手で後ろ手に隠し持っていたカッターを雪菜の頸動脈に向けて振り下ろした。
「えっ?」
 雪菜は何が起きたのか分かっていない声を上げて、そのままの表情でその場に仰向けで倒れて、しばらくビクンビクンと痙攣しながらおしっこを垂れ流して、そのまま動かなくなった。辺り一面が雪菜の血で真っ赤な海になった。まるでウケを狙ったようなあまりに間抜けな死に方だったので、面白くなって思わず吹き出してしまった。
「あはは。面白い死に方をするんだね。子供みたいにおもらしして。さあ、セックスをしよう」
 僕は前から、女の子の死体とセックスをしたいと思っていた。生きている女の子は好きじゃない。動くから気持ち悪いし、嘘の告白をしてきたりして性格も悪い。そんな生きている女とセックスをするなんて、想像しただけで吐きそうだ。でも雪菜はもう死んでいる。目を見開いて虚空を見つめている。いや、その目にはもう何も映っていないのだ。
「雪菜・・・。可愛いよ・・・。すごい可愛い・・・。生きてる間は全然可愛くなくて性格も悪くて気持ち悪かったけど、死ぬとこんなに可愛くなるんだね・・・!僕、雪菜のこと大好きになっちゃったよ」
 そう言って僕は雪菜にのしかかり、キスをした。雪菜の舌、歯、歯茎・・・雪菜の口の中を舌でいっぱい味わった。雪菜の唾液を味わい、吸い、飲んだ。ちょっと生きていたころの雪菜を思い出して気持ち悪くなった。生きている雪菜とキスをするところを想像してしまったのだ。でも、もう雪菜は死んでいるんだ、と思い直すと気持ち悪さもなくなって、興奮した。
 僕はズボンとパンツを脱いだ。おちんちんはギンギンに勃起している。僕は雪菜の口におちんちんを入れて、口を犯した。楽しくて気持ちいい。もし雪菜が生きていたら、僕のおちんちんを嚙んでくるだろう。でも雪菜は死んでいるからそんな心配はない。口の中におちんちんをねじ込んで動いても、ただ気持ちいいだけだ。
 僕は雪菜の服をカッターで破り、ブラジャーを切る。雪菜の膨らみかけの小さなおっぱいがあらわになる。僕は夢中でそのおっぱいを揉み、しゃぶりつく。少し汗のしょっぱい味がする。
 次に僕は雪菜のスカートとパンツを下ろした。雪菜のおまんこが丸見えになる。僕は女の子のおまんこを初めて見た。こんな形をしていたんだ。保健体育の教科書のよくわからない絵とはだいぶ違う。僕はおまんこを触る。さっき雪菜が漏らしたおしっこのにおいがした。僕はおまんこを舐めた。おしっこの味がする。おまんこを舐めながらいじるのがすごく楽しい。きっと生きている女のおまんこは醜くうねうねと蠢いて、舐めたりなんかしたらあまりの気持ち悪さに吐いてしまうだろう。しかし雪菜のおまんこは動かない。舐めても触っても反応はない。だから全く気にせずいじくりまわすことができる。
 僕はそろそろ我慢の限界になってきた。雪菜のおまんこにおちんちんを入れたい。僕は雪菜のおまんこにおちんちんを宛がうと、一気に突っ込んだ。
 ズブズブズブッ!
 雪菜のおまんこは僕のおちんちんを根元まで飲み込んだ。まだ奥に余裕があるようだ。もっとおちんちんが大きかったら雪菜のおまんこの奥まで楽しめたんだろうか。僕は腰を振り、雪菜のおまんこの膣の壁に僕のおちんちんを激しくこすりつける。すごく気持ちいい。今までも女の子の死体とセックスするところを想像しながらおちんちんをいじってきたが、実際にやるのは段違いだ。きっと生きている女のおまんこは不気味に蠢いて、挿入しようとしてもおちんちんがしぼんでしまうだろう。僕はちょっとだけ生きていたころの雪菜のおまんこを想像してしまった。生きている雪菜のおまんこはすごく気持ち悪くて、想像した途端、僕のおちんちんはしぼんでしまい、ずるりとおまんこから抜けてしまった。
 急におちんちんがしぼんでしまったので、僕は慌てた。EDというやつになってしまったのかもしれない。大丈夫、雪菜は死んでいる。雪菜は死んでいる。雪菜は死体なんだ。雪菜は生きていない。だから気持ち悪くない。死んでいる雪菜のおまんこがそこにあるんだ。死体のおまんこは気持ちいい。僕はそう自分に言い聞かせ、雪菜のおまんことおっぱいと顔を見る。雪菜はだらしなく口を開き、目を見開いている。その表情は明らかに死体のものだ。僕は雪菜のおっぱいを揉んだ。雪菜のおっぱいはもう冷たくなり始めていた。その冷たさが僕を安心させ、興奮させた。僕のおちんちんは再びギンギンになり、僕はほっとした。
 再び雪菜のおまんこにおちんちんをねじ込む。おまんこも冷たくなり始めていた。気持ちいい。僕は生きていたころの雪菜を思い出さないように注意しながら、夢中で腰を振った。
「雪菜・・・好きだ!好きだ!死んでいる雪菜が好きだ!可愛い雪菜!気持ちいい雪菜!死んでるから可愛い雪菜!死んでるから気持ちいい雪菜!生きてない雪菜可愛い!!好き!!!」
 下半身全体がムズムズとしてきた。そして次の瞬間、僕の全身が痙攣した。
「あっ・・・うっ・・ううーっ!」
 ドピュッ!ドクン!ドクン!ドクン!
 射精している間、僕は思わず大声で唸ってしまった。今までに感じたことのない快楽が僕の全身に襲いかかる。僕は雪菜のもう永遠に妊娠することのない死体の冷たい子宮に、熱い精液を大量に注ぎ込んだ。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ・・・」
 何分くらいだろうか。僕は雪菜の上でしばらく呆然としていた。気持ちよくて、このまま眠ってしまいそうだ。雪菜の死体は僕を優しく受け止めてくれている。たぶん生きている女の子の上にのしかかってこんなふうにのんびりとリラックスしたら、女の子は重くて苦しがるだろう。死体だから布団のように全体重をかけてゆったりとできるのだ。このままずっとこうしていたい。しかしこのままこうしてはいられない。雪菜はカッターナイフで首を切られて血まみれで死んでいる。そのカッターナイフには僕の指紋がべったりついている。雪菜の死体は全裸で、子宮には僕の精液がたくさん入っている。僕も血まみれだ。その上雪菜の上で僕が寝ているところを誰かに見つかったら言い逃れはできない。
 僕は雪菜の死体を引きずって手ごろな崖から突き落とした。このへんには野生動物が多いから、雪菜の死体を食べて多少は証拠を減らしてくれるだろう。今日は夕方から雨の予報だ。この辺はほとんど誰も通らないし、血もある程度は流れてしまう。通ったとしても猟師がイノシシか何かを仕留めた血だと思って気にも留めないだろう。後はカッターを適当なところに捨てて、僕の服をコインランドリーで洗濯すれば終わりだ。幸い黒い学ランなので、洗ってしまえばシミは目立たないはずだ。
 うん、なかなかの手際だ。僕はもしかしたら将来、大物のシリアルキラーになれるかもしれないぞ。雪菜の死体の気持ちいい感触の余韻に浸りながら、山を下りた。

(完)
2016.10.0820:24

屍姦が好きになる方法

前回とは打って変わった内容です。

一部のいわゆる「特殊性癖」の人は、かなり新参者に厳しいようです。特にケモナーと呼ばれる人たちは、初心者が「ケモナーになりたい」などと言うと怒りだす人が多いようです。

屍姦趣味はどうでしょう。サンプルが少なすぎて一概に言えない気がしますが、少なくとも私は多くのみなさんに屍姦の魅力を知ってもらいたいと思っています。

というのも、インターネット上のエロマンガサイトやエロ画像サイトを見てみても、屍姦モノは数えるほどしかありません。圧倒的に供給が不足しているのです。また、屍姦ファンが少なく需要が少ないために屍姦ネタの作品を描く人が少ないのかもしれません。多くの人が屍姦の魅力に気づき、エロ絵やエロマンガを描く人がたまにでも屍姦絵を描いてくれたらいいなあと思っています。

そんなわけで、今は死体には全く欲情しないけれどちょっと興味があるという人のために、屍姦が好きになる方法を考えてみました。お試しください。

コツ1 綺麗な死体から始めよう


屍姦モノというと、血みどろで脳漿や内臓が飛び散ったバラバラ死体や、蛆の湧いた腐乱死体でなければいけないというのは誤解です。いきなりそうした死体のエロ画像を見ることで「自分には屍姦モノを楽しむのは無理だ」と諦めてしまうのはもったいないです。死体にもいろいろあります。死にたてでまだ温かく、元の形を保った死体のエロ画像から入り、徐々に慣れましょう。

コツ2 2次元から始めよう


現代は、海外のグロ画像サイトで、3次元の死体画像が結構容易に手に入る時代です。中にはけっこうな美女がかなり綺麗な状態で死んでいる画像もあります。しかも検死のために服を脱がされ、おっぱいや性器が丸出しになっている画像まであるのです。しかしそういうサイトにはバラバラ死体や腐乱死体の画像もあり、慣れるまでは危険です。3次元の死体画像を見ることで「自分には屍姦モノを楽しむのは無理だ」と諦めてしまうのはもったいないです。まずは2次元の死体のエロ画像から入り、徐々に慣れましょう。

コツ3 殺害から入るのもOK


屍姦には興味はないけどリョナは好き、という人も多いでしょう。そういう方は殺害モノ、つまり、相手が死ぬ瞬間の画像から入りましょう。たとえば、絞首ネタならば、まずは苦しんでいる絵、次は痙攣している絵、最後に完全に生命活動が止まった絵、というように徐々に慣れましょう。

コツ4 それでもだめなら睡眠姦・気絶姦・時間停止SFモノから始めよう


さて、以上の3つのコツを試してみてもまだ屍姦に慣れることができないという人には最後の手段です。睡眠姦モノ、気絶姦モノ、時間停止SFモノから入りましょう。この方法はちょっと邪道かもしれません。しかし死にたてで体温のある死体とのセックスと、寝ていたり気絶していたりする生きている人とのセックスや時間を停止したセックスは、反応がない(or薄い)という点で似ています。少し睡眠姦・気絶姦・時間停止SFモノで反応のない体の良さを味わってから、もう一度屍姦モノにチャレンジしてください。


みなさんも「自分はこうして屍姦が好きになった」「こうすれば屍姦が好きになる」といった話がありましたらお教えください。
2016.10.0121:57

ネクロフィリアと性的多様性と人権について

こんにちは。nexaです。今回はいつもの性的ファンタジーはありません。

ここ最近インターネット上で大きく2つの出来事があり、混乱と狂騒の様相を呈しています。その1つはLGBTをペドフィリア、ズーフィリア、ネクロフィリアといった他の性的少数派と同等に扱うことの可否に関する議論です。もう1つは人々が自分の気に入らない性的表現を嫌がらせや脅迫によってやめさせようとする行為の可否に関する議論です。それに人種差別や性差別など種々の問題が絡んで事態を紛糾させています。これらの問題について少しでも冷静で建設的な議論がなされることを祈り、私のネクロフィリアに関する基本的な考え方を述べておきます。具体的な個々の事例については述べず、概念的に述べようと思います。そのほうが却ってあらゆる個別の問題に適応できると思うのです。

その前に私nexaが何者であるかについて述べておきます。私が管理するTwitterの@necro_lifeのアカウントはもともと(今でも)、poza(@sex_poza)のパロディとして始めたものです。中高生に対して生中出しを推奨するという内容と、それにもかかわらず一見性教育的な内容を述べているかのような口調の落差のおかしみから、一時期、多くのパロディアカウントが生まれました。その1つが@necro_lifeです。未成年の中出しを推奨することをパロディ化するためにそれよりもさらにいっそう問題のある行動は何か考えれば、屍姦に考え至るのは当然でした。いささか露悪的であるという誹りは免れませんが、もとよりパロディなのですから元ネタより穏健でありえようわけがありません。私がかねてから愛好する屍姦ネタをbotに放り込み、また屍姦についての情報を集めているうちに、だんだんと屍姦愛好仲間とのつながりもできてきて、屍姦にまつわる創作物や情報を載せるためにこのブログを始めるに至りました。

さて、始めに最も抽象的な問題として正義について述べておきましょう。法的正義はある一時代において普遍であることを旨とします。法律用語でいう「法の下の平等」です。実際の運用上そうであるかはさておき、理念的にはそうなのです。それに対して倫理的正義は相対的です。各個人の信条は異なるのです。しかしながら、ある時代、ある文化の中では各個人の信条は比較的均質です。かつてキリスト教社会では同性愛は悪であるとする信条が共有されていました。今ではむしろ同性愛者への迫害こそ悪であるという信条が共有されています。厳密に言えば、外れ値的な信条を持つ人はいます。しかし少数派です。かつてのキリスト教社会でも同性愛を擁護する人はいましたし、今でも同性愛を迫害しようとする人もいます。極端な外れ値を持つ信条を持つ人はいても、全体としてあるまとまった偏りを成します。すなわち、その時代の思潮というものが存在するのです。法的正義と倫理的正義とが類似し、しばしば混同されさえするのはこのゆえです。各個人の信条が異なる以上、「自分の気に入らないこと」と、法的あるいは思潮としての不正義を先験的に同一視することは不可能です。

かつて同性愛は倫理的に悪であるとされ、今ではそうではないとされます。いずれ屍姦もそうなるかもしれません。スウェーデンでは屍姦を合法化すべきという政治活動が実際にあるのです。しかし、同性愛の解放を、「人類が普遍的真理に気付いたのだ」と素朴に信じるべきではありません。時代・社会・文化を超越した普遍的正義はありません。といっても、それゆえに現代の思潮を蔑ろにしてよいという意味ではありません。むしろ逆です。人類が社会の終わりのない向上を目指す終わりのない努力の、現代という一時代における最も尊ぶべき結実の1つが同性愛の尊重なのです。

次に、もう少し具象的な問題として、屍姦とその他のセクシュアリティの政治的関係について述べたいと思います。@necro_lifeの内容や、このブログの内容について、その内容が死んでいる女性と生きている男性という組み合わせが主であることから、「LGBTを蔑ろにしている」さらには「ミソジニー的である」という誤解が時に生じるようです。しかし、死んでいる女性と生きている男性という組み合わせを好むのは私個人の性的好みに過ぎないのです。私nexaをネクロフィリアの代表、旗手であるように扱っていただけるのは身に余る光栄ではあるのですが、実際に身に余るので困るのです。私はネクロフィリアの代表ではありません。無限の可能性を持つ屍姦という大海の一滴に過ぎないのです。

屍姦の前には性的指向や性自認、さらには性別や人種の差別は無意味です。性的嗜好の極北とされる屍姦のどこに、同性愛や両性愛を拒絶する理由があるでしょうか。屍姦が極北であれば、ペドフィリア、ズーフィリアでさえまだ「南」なのです。屍姦は常に全ての人に開かれています。屍姦がシスジェンダー異性愛男性の独占物であるという主張を私はしないどころか、積極的に反対します。私の愛読書であるフランスの小説Le Nécrophileの著者である偉大な文学者Gabrielle Wittkopは同性愛者の女性でしたし、その主人公Lucienは死体性愛両性愛者の男性です。屍姦文化に浴するならば、同性愛・両性愛というものがそこにどれだけ芳醇さを注いだかを常に思わないではいられないのは至当です。

先に北、南の比喩を用いましたが、これは本当は望ましい比喩ではないかもしれません。なぜならば、全ての性的なありようは順位づけをせず等しく尊重されるべきものであるからです。もちろん、法的・倫理的正義の中で、許されようがない性的行為というものは存在します。幼児との性交はその一例です。死体との性交は、少なくとも日本の現行法においては合法であるという判例(昭和23年(れ)584号)がありますが、多くの人の信条はこれを認めないでしょう。性的快楽を得るための殺人はその最たるものです。しかし、人間の想像力の中に留まるときは、あらゆる性的幻想は等しく尊いということを私は主張したいと思います。創作物や空想の中で幼児と性交をし、人を殺してその死体と性交をする・・・といったことは決して悪いことではなく、むしろ多くの異性愛者や同性愛者が恋愛をすることや無性愛者が恋愛をしないことと等しく尊く、尊重されるべきものであると考えます。

しかし、このような考え方は多くの人に共有されているわけではないようです。LGBTをネクロフィリアを含む他の性的少数派と同等に扱うことでLGBTを誹謗できると考えた人も、これに対してその同一視は不当であると主張する人も、やはりLGBTとペドフィリア、ズーフィリア、ネクロフィリアのような存在との間には階級差があると見なしているのでしょう。しかしそれはPZNという三等市民の上にLGBTという二等市民があり、その上にシスジェンダー異性愛という一等市民があるという素朴ではある世界観に繋がっています。全ての性的ありようは虹のスペクトラムのように切れ目なく繋がっているものであり、我々は性的ありようによらずお互いを平等な一人の人間として尊重しなければなりません。

しかしこれはやはり理想論であり、現実には、ヘゲモニーを手にしている者はこれによって他者より有利であろうとするものです。そしてそれは必ずしも責められたものではありません。かつては異性愛がヘゲモニーを有して唯一の正当な性のありかたとして君臨していました。今や同性愛や両性愛やトランスジェンダーはその仲間入りをするに至りました。しかし彼らは旧市民にとってはいまだに白い目で見るべき成り上がりの新市民なのでしょう。彼らは常に不当な攻撃に晒されかねない苦境にあるのです。それでも、彼らが我々を受け入れられなくても、私は彼らが我々を受け入れられないことを受け入れられるようでありたいと思います。全ての人が自分の信条を他人に無理に押し付けず、少しずつ譲り合い許し合えますように。
2016.09.2401:08

隣のお姉ちゃん

 博樹が物心ついたときから、里栄子はずっと隣に住んでいた。里栄子は博樹より十歳年上で、博樹は里栄子をずっと「お姉ちゃん」と呼んでいた。二人はよく互いの家に遊びに行っていた。
 ある日博樹が里栄子の家に遊びに行ったとき、博樹は里栄子の膝の上に座り、
「お姉ちゃん、僕と結婚してよ」
と言った。里栄子は後ろから博樹を抱きしめて、
「ひろくんが大人になったらね」
と答えた。

***

 その夜、博樹の夢の中に里栄子が現れた。
「ひろくん、大人になったね。だからお嫁さんになってあげるよ」
「えっ?」
「ほら、見てみて。おちんちんがもう大人になってるよ」
 博樹が自分のペニスを見ると、そこには見覚えのない大きなペニスが屹立していた。
「ほら、赤ちゃんの作り方、学校で習ったでしょ?」
 里栄子は大きく股を開く。里栄子の股に博樹はペニスを差し込む。
「あああっ!」
 自分の声で博樹は目を覚ました。パンツにはべっとりと濃い精液がついていた。精通だった。

***

 精通したのだから自分は里栄子とセックスをするのだ。里栄子は結婚してくれるといったのだから。
 その日、そんなことを思いながら、 博樹は里栄子の家へ向かった。「お邪魔します」と言って家に入るが、返事はない。すると、里栄子の部屋の中から何やら声がする。なんだろう――そう思って博樹は部屋を覗く。
 近所に住んでいる里栄子と同い年の顕士――しばしば里栄子と馴れ馴れしくしていたので、博樹は顕士のことを忌々しく思っていた――が、里栄子の上で腰を振っていた。
 ああ、里栄子の約束は、子供だと思っていい加減になされたものだったのだ。

***

 博樹はキッチンに行って包丁を持ち、里栄子の部屋に飛び込むと、いきなり顕士の背中の肋骨の隙間から包丁を突き入れた。
「うえっ?」
 顕士は突然のことに一瞬間抜けな声を出して、傷口から大量の血を流して、動かなくなった。
「ひっ!?い、いやあっ!」
 里栄子が声を上げる。声を止めなければならないと思って、博樹は里栄子の咽喉を包丁で突き刺す。里栄子は痙攣を起こし、動かなくなった。博樹は里栄子の死体から顕士の死体を引きはがす。ずるりと膣からペニスがコンドームごと抜ける。
「ああ、よかった、お姉ちゃんのあそこ、こんな奴の汚い精子で汚される前で。お姉ちゃんのあそこに最初に注がれる精子は僕のじゃなきゃいけないんだ!」
 そう言って博樹は勃起した、しかししっかりと皮に包まれた小さなペニスを里栄子の膣に突き入れた。
「ああっ!お姉ちゃん!おねえちゃんのあそこ、すごく気持ちいいよ!」
 博樹は夢中で腰を振り、里栄子の死体の膣に精子を注ぎ込んだ。

(終わり)
2016.09.1220:15

『月刊コミックフラッパー』2016年10月号におねショタ屍姦!

みなさまごきげんよう、おねショタに目覚めたnexaです。おねショタっていいものですね。

なぜ唐突におねショタの話を始めたかと言いますと、『月刊コミックフラッパー』の2016年10月号を購入しまして、「SMOKE&WATER~マルキ・ド・サドの孫娘~」を読みました。

それにこんなかわいらしいショタっ子のデファンくんが屍姦するシーンが出てくるのです。

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描写が過激すぎて単行本に収録されないかもしれないという噂を聞き、書店へ走りました。おねショタ屍姦は実に素晴らしいですね。ぜひ読んでみてください。さあ、あなたも書店へ走るのです!

それにしても一般漫画誌に屍姦シーンが出てくるのは嬉しいですね。『月刊コミックフラッパー』を買い、「屍姦シーンがよかったです」と葉書に書いてファン投票をし、屍姦ブームの到来を祈りましょう。
プロフィール

necrolife

Author:necrolife
@necro_lifeの中の人が死体愛を語るブログです。

ツイッターではファンタジーなフィクションで死体愛を語っていますが、ブログでは中の人のちょっぴりリアルな素顔も見せちゃいます。幻想を壊されたくない方はご注意を。

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