2ntブログ
2013.09.0316:52

草庵に不斷の袖時雨(そでしぐれ)

こんにちは。nexaです。




以前南方熊楠の「屍愛について」で、南方熊楠がこんなエピソードを紹介していることを紹介しました。

『千尋日本織(ちひろやまとおり)』に、道心(修行僧)が上人(高僧)に、屍姦を告白する話がある。道心が出家する前に勤めていた武家の美しい娘が病死し、屍姦するが、そのせいで鼻が落ちてしまう。道心はその娘の幽霊が毎夜来ると言い、上人はその幽霊を退散する。



『千尋日本織(ちひろやまとおり)』は、神秀法師という人が書いて江戸中期の宝永4(1707)年に出版された浮世草子です。

インターネットで探してみると、なんとその本の写真が公開されていました。

千尋日本織. 巻之1-6 / 神秀法師 [撰](「2」の10枚目からです)

みなさん、読んでみてください。・・・といいたいところですが、くずし字の古文で書かれていて読みにくいでしょうから、解読して現代語訳を作ってみました。




現代語訳

下総(しもうさ)国の本庄というところは、俗世を逃れた僧侶や尼などが多く住むところである。

一日中絶えることのない鐘の音がとても神々しく聞こえる中に、修行をなまけることなく、朝に托鉢をして夕方に戸を閉めるほかには人が来ることもなく、庵から出てくることもほとんどない修行僧がいた。賎しくない身分の出身だが、梅毒で鼻がもげていて、経を読む声を聞くだけでも彼だとわかった。

あるとき、その近くに隠遁している高僧の許を訪ねて懺悔した。

――私は出家する前、身分の低い武家に仕えておりました。主人の娘はとても美しく、十五歳ごろから体を悪くして結婚もせず、両親は深い愛情をもって大切になさっておりました。私は仕えている身ではありましたが、遠い親戚でしたので出入りを許され、親しくつきあっているうちに、娘は私を想うようになってくれて、
「灰の中に埋めた炭の火のように、私の心は恋焦がれておりますわ」
なんて得意げに語りかけてくれたり、手紙を部屋のあたりに投げ入れてくれたりしていたのですが、当時むこうは主人ですし、人の目が怖くて知らんぷりをしてごまかして過ごしていました。

月日がすぎて病気は重くなり、薬も効かず、祈祷も効果がなく、十七歳の秋、秋の霜となって消えてしまったのです。母親は嘆きのあまり言葉も発することができず、彼女を恋い慕っていたよその人たちは後を追って死のうなどとみなで嘆いておりました。

やっとのことで人々を慰め、葬送も明日と決まり、今宵限りの最後の別れすら、言葉を交わすこともなく、集まった人たちもみな泣きながら寝てしまい、夜も更けました。そういうわけで、切なる私の思いもこれが最後だと、そのまま死人のいる部屋に入って夜が明けるのを待ちながら遺体を守っておりました。が、どうにもならないこの世の別れ、せめて他にない美貌が変り果ててしまったのを見て思いを断ち切ろうと、顔にかけた布をどかして顔を覗くと、容貌は世にも美しく、生きている時と変わらず、ところどころにぬくもりも残っていて、ますます想いが募り、このときどうしようもない思いが湧いてきて、命を失った体に肌を触れて、世に他にないようなセックスをしたのです。我ながらみじめでなさけないありさまでした。

朝になると葬送をし、中秋の名月にさらわれたのではないかなどと聞いておどろく噂だけが残り、人々の嘆きが私一人だけの心の中に残ったように忘れられませんでした。ふらふらと体調を崩し始めたのですが、死人の肌に触れて冷たい息に感染したのか、全身がすべて崩れ、鼻ももげて醜い姿になってしまいました。もうこれまでと、死んだ人へのみじめな煩悩の罪から逃れたいと思って修行僧をしています。――

と、袖を伝う真珠のように涙を流しながら、やっとのことで語った。

高僧はそれを聞き、
「お可哀相なことです。執着の想いはひるがえせば仏の道も遠くありませんぞ。こうして告白なさったことは感心なことです」
と言って、涙を流した。

修行僧は
「その娘が死んでから今まで毎日来て、一緒に念仏をして、朝になると姿が見えないのです」
と言う。

高僧は
「そういうこともあるでしょう。これを見せずに物を聞き数を問いなされ」
と言って、そのときお茶請けに出ていた煎り豆を十五粒渡した。

ありがたく思って庵に帰ると、その夜またその女がやってきて、
「あの高僧から豆を十五粒もらってきて、私に中身を聞こうということですのね?冷たいことですわ!人に漏らすだなんて、愛情も変わってしまわれたのね!?」
と恨みをくどくどと言う。それをどうにかごまかして、夜が明けて高僧のところを訪れ、そのとおりに伝えた。

今回は何かを紙に包んで渡したので、次の夜その女に聞いたところ、
「何かしら・・・わかりませんわ」
と言って消えてしまった。

それから幽霊が来ることはなかったという。ありがたい功徳である。




校訂本文

草庵に不斷の袖時雨(そでしぐれ)

下總の本庄といふ所は、隱逸の人、道心比丘尼なんどの餘多(あまた)住む處なり。六時不斷の鉦の音いと殊勝に聞ゆる中にも、勤めおこたらず、朝(あした)に鉢をひらき夕べに戸ざすより行かふ人もなく出づることもまれなる道心あり。いやしからぬ生まれつきながら鼻落ちて念佛のこゑもそれと知るゝをかしさなりし。ある時そのほとりに隱れまします智識の許に參りて懺悔申しけるは「我俗にて御座候時は小身の武家に勤め侍りし。主人の娘過れて美しく、十五歳のころよりいたはる事侍りて縁にもつけず、両親いとほしみふかくもてなし給ふ。我勤めといひながらすこし所縁(ゆかり)あるものなれば内外(うちと)ゆるされ、行き通ふにかの娘いつとなくわれらに心をよせ、『埋火(うづみび)の下にこがるゝ』などほこりかに聞えふみを袂に投げ入れなんどせしかど、當時主人とあふぐうへ、人目のほどおそろしくよそごとに打ちまぎらかし過しぬ。とかく月日かさなり、病気重く、くすりのわざも叶はず、祈るしるしもなくて、をしきは十七の秋の霜と消えうせぬ。たらちねのなげき申すに言葉もつゞかず、戀ひしたふよそ人はともに死なんとのみなげきあへり。漸う人々をいさめ、野邊の送りも明日と定り、今宵ばかりの名殘だに物いひかはすことなく、たれかれとつどひしも皆泣き寢入るに夜も更けぬ。されば我が思ひの切なるもこのたびぞと、猶も死人の一間に入りてあくるを待ちてまもりいたりしが、さすがこの世の別れ、又あるまじき面影のせめてかはれるを見て思ひ切らばやとうす衣(きぬ)を引きのけてうかゞふに顏かたち世に美しく生ける時にかはらず、所々の温もりいまだ有りていよ〳〵思ひを増さりてこの時わりなき一念おこり、むなしき人に肌をふれて世にも希なる契りをぞむすびし。我ながらあさましくはづかしき有様なりき。明くれは野邊に送り、秋夕妙月と聞きておどろく無名(なきな)のみ殘り、人々のなげきも我一人の心に忘もやらず。ふらり〳〵と病(わつら)ひ出せしが、死人の肌をふれて息冷(そくれい)の氣を請ける故にや、惣身崩れ鼻落ちて見苦しくなり行きぬ。今は是までよ、なき人のためあさましかりける煩惱の罪をもまぬかればやと道心いたし侍ふ」とて涙袖行く玉なして漸うに語りぬ。上人聞き給ひ「不便(ふびん)のことどもや一念ひるがへせば道遠きにあらず殊更懺悔神妙なり」とて衣の袖をしぼり給ふ。道心又申けるは「かの娘死してよりこのかた夜毎に來り諸共に念佛して、明くれば姿見えず」と申す。上人「さもあるべし。これを見せずして品を尋ね數をとへ」とて、折ふし菓子に出でける煎大豆(いりまめ)を十五粒(りふ)給ひけり。悦び庵(いほり)にかへり、その夜(よ)又かの女來りていはく「上人より大豆(まめ)十五りふをもらひ來り、我等にたづね給はんとや。つれなき御事にこそ候へ。人にもらさせ給ふは御心もかわりけるや」と恨みくどきけるを、漸うまぎらかし明かして上人へ參り右の通り申し上ぐる。このたびは何やらん紙に包みて給ひしを、次の夜(よ)かの女に尋ねしかば「何やらん得こそしりまゐらせぬ」とてうせにける。それより幽靈來ることなかりしとぞ。ありがたき御事也。

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